diary 2003.05a



■2003.05.05 月

 今月はずっとこの街には居ず、実家を拠点に行動していた。前半は姪っ子の遊び相手、後半は魚釣り三昧。その合間に地元の友人に会ったりなんだりと。でも、全日晴天に恵まれた連休で良かった。2日に親父と行った海がまた最高の天気で、1日ずっとTシャツ1枚で海に居た結果、剥き出しの両腕から肩にかけてと首筋が真っ赤に日焼けしてしまい、今でもヒリヒリしている。釣り行きのスタイルで、手には指無しの手袋、左手首には腕時計の保護用にリストバンドをしていたので、その部分と日焼けした部分のコントラストがくっきりしていて、それが可笑しい。まだ5月なのに。数日後には首筋の皮が剥け出すだろう。
 2日は朝の潮引きの時間のうちに釣り場に到着。漁港の沖合いにある防波堤へゴムボートで渡る。大潮に合わせて潮の引き具合も大きい日だったので、まずは餌取りから始める。普段は海面下に沈んでいるテトラポットがあらわになっているので、そこにへばり付いているエラコ(地元呼称。管状の殻に入っているミミズのような生き物)を釣り餌として現地調達する。気温は高いけれど水は冷たい。その水の冷たさに親父が「こりゃ駄目だな」。絶好の日和ではあったけどそれは地上だけの話で、水中はまだまだ冬のレベルだった。
 予想どおり、釣りの方はさっぱり。陸続きでは無いので人は余り入らない所だが、同じくゴムボートで渡っていた先客がいた。3人。何故か皆頭にヘルメットを被っているので、最初は工事の人かと思った。でも、やっているのは釣り。そちらもさっぱりなようなので、「駄目っスねぇ…」と切り出して少しお喋り。で、何でヘルメット? 訊くと「いやぁ、ここカモメがさぁ…」 と周りを見渡す。辺り一面にカモメが何十羽も止まり、遠巻きにこちらを見詰めている。いぶかしげな無数の視線に、ああなるほど、と納得。ここは普段人の立ち入らない場所なので、6月頃になると防波堤の至る所でカモメの子育てが始まる。それが始まると彼らの容赦ない威嚇と攻撃を受け続ける事になるので、ここでは殆ど釣りにはならない。で、ヘルメットはそれに備えての防御だったのだ。
 「でもまだ早かったかね」 防波堤の上やテトラポットの上には去年の巣の残骸があるだけで、カモメはまだ今年の巣造りも始めていない様子。今はまだ大人しく、ちょっと遠巻きに侵入者を見詰めているだけだった。

 親父が型の良いのを何匹か揚げたが、こちらは本当にさっぱりだったので、釣りの方は親父にまかせてこちらは「チョウチョ貝拾い」をしていた。チョウチョのような形をした貝殻だ。以前は見つけても大して興味を持たなかった貝だが、去年辺りから何となく、この貝を見つける度に持ち帰るようになった。それから1年近くになるので、もう結構な量になっている。集めてどうしよう、だとか、特にそういう事はない。何故だろう。
 子供の頃はこの貝を見つけると、集めてはバラバラと海に投げ入れていた。暗い海中で白く輝きながら、ヒラヒラと揺れ沈んで行く。そうして本当に海中を舞う蝶々のように沈んでゆく貝を、消え行くまでずっと見詰めていた。でも、ある時この貝の奇跡的な形と綺麗さに気が付いて、今はそれを持ち帰って、オーディオの上に並べてあったり、机の引出しの中にしまってあったりと、あちこちにピンクやオレンジ色の蝶々が。表面にちょっと磨きをかけると艶が出て驚くほど綺麗になる。そうして無造作ながらも大切に…そう。子供の頃持っていた「たからもの」のように溜め込んでいる。
 とにかく。漠然とだけど、去年のある時期からこの貝…いや、自分が育った「海」そのもの…に自分が持つ意味や価値のようなものが、大きく変わったのだと思う。
 「チョウチョ貝」とインターネットで検索をかけてみると、この貝は襟裳岬の百人浜という海岸に時たま打ち寄せられる貝として、知る人ぞ知るものなのだという事が判る。観光でその海岸を訪れこの貝を捜し、それを見つけた(あるいは見つけられなかった)エピソードも、幾つか見つける事ができる。その海岸とも観光とも関係ないけれど、同じようにこの貝を拾う自分も、気持ちはまた似たようなものなのだろうか。記念、のような意味合いで。まだまだ漠然としているけれど、気持ちは自然とそういった方向に傾いているのだろうか。
 浜辺で貝殻を拾う人の想いって、それぞれどんなものだろう、とふと思った。
 その場の何かを持ち帰る、という事は多分、そうすることで自分の何かをその場に留めておきたい、そういう深いところにある気持ちの現れ、なのかも知れない。そこに気持ちが立ち戻る時のための、みちしるべ。


■2003.05.06 火 (花盛り)

 「連休中はどっか行った?」 と訊かれる。いや俺はほら文化的な人間だから、家で大人しく読書したり音楽鑑賞したり。 「ふーん。…って、その日焼けはなんじゃー」 ひぃ、突付かないで、と。そんな感じの連休明けだった。日焼けの方はまぁ、ヒリヒリも大分収まったので、突付かれた所で逃げ回るほどでは無くなっているのだが。でも、今日人に言われて初めて気付いた。海ではサングラスをしていたので、顔の日焼けの色に比べると目の周りだけが、その差は僅かではあるけれど、元の色のまま。ネガポジパンダみたい、と言われる。何だそりゃ。
 連休中にこの街の桜が花開いた。職場に植えられている桜も、今が花盛り。風に散る花弁もまだまだ極僅かだ。花の脇にはまだまだ若葉だけど、ちゃんと葉っぱも付いている。周りの木と比べると、桜は花を咲かせるのも早い方だけど、葉を開くのも早いと思う。紫蘇の色をした桜の若葉。ああ、去年虫喰いでやられていたところにも、ちゃんと花、そして、新しい葉がひらいている。道路脇の側溝にはまだ去年の落ち葉。水底に溜まって、徐々に泥、土へと変わってゆく。去年虫に喰われて、葉の筋だけが残って枝に揺れていたその姿を思い出す。
 葉の一生。その変化を取り上げて人の一生と比較することは難しい。けれど、最初は皆同じ形、欠けたるところのない完全な形を持って生まれてきて、やがて成長と共に様々に形造られ、様々に彩られ、様々な末路を辿る。それだけは同じだと思う。個性は最初から持って生まれてくるものではない。それは形造られるものだと自分は思う。
 そして、個性が形造られる、という事。生きる過程で様々なものを自分にプラスしながら造られる個性。最初に持って生まれたものに足し算してゆく個性、というのもあるだろう。けれど、生きる過程で、最初に持っていた形から様々なものを欠けさせてゆくことで造られる個性、そういう引き算の個性の造られ方、というのも確かにあると思う。千切れたり虫に喰われたり、そうしてやがて個性的な形に変わってゆく葉っぱのように。
 持って生まれた真っ白なキャンパスに、様々な色を加え、色を重ねててゆく。それは色の足し算。でも元々の白いキャンパスにとっては、それは同時に引き算。新たな色を重ね続けることと、元の色を残すこと。そのどちらかがとりわけ大切な事だとは思わない。必要なのは重ねるものと残すもの、そのスペースのバランス。けれど、一度色を重ねてしまったキャンパスの白は、もう二度と取り戻せない。どれだけ残せるか、という事はどれだけ得られるか、それと同じ位。いや、ひょっとしたらそれ以上に、大切なことなのかも知れない。

 花盛り。でも結局は葉っぱの話。


■2003.05.08 木

 日焼けした箇所の脱皮が始まっている。鼻の頭と肩。こういう部分は自分でも剥けている事が判るけれど、首筋と耳の裏が凄いことになっている、ということは人に指摘されるまで気付かなかった。鏡を2枚使わないと見づらい箇所だ。見て自分でも驚く。それにしても皆、何故人の皮を剥きたがる。
 連休後はぐずつきがちな天気。でも季節はすっかり変わり、この街の強い風が戻ってきている。昨日今日と、その風と雨で桜の花もかなり散ってしまった。濡れた路面には、ぺったりと捕らえられた花弁。ひと雨ひと雨くるごとに花はその量を減らし、けれど赤みかがった桜の若葉は徐々に青味を増してゆく。桜よりは地味だけど、白樺の花も盛りを迎えたようだ。大きく開いたたくさんの房が枝々で揺れている。以前に見かけた枝の切り口。そこからの樹液の滴りが、いつの間にか止まっていた。そして、地面の上のいたるところにはタンポポの花。
 春。でも気温は意外と低くて、朝晩はまだストーブのお世話になっている。灯油がそろそろ切れるのだけど、どうしようか。朝晩ストーブを焚こうか、どうしようか、と迷いの多い時期。外でも中でも、この時期の寒さは何というか、身にしみる寒さだと思う。可笑しい。これまでずっと真冬の寒い季節を過ごしていたはずなのに。寒さの質が違う、という感じだろうか。寒さに対する自分の心掛けの違い、なのだろうか。

 北海道出身の兵は意外と寒さに弱かった。寒さに一番強かったのは、東北出身の兵だった。…と、陸軍時代を回想した祖父の手記に書いてあったことを思い出す。上に1枚羽織れば耐えられそうな寒さだけど、結局はストーブを焚いてしまう事が多いこの時期。こういう線引きの微妙な寒さには、こちらの人間は意外と弱いのかも知れない。


■2003.05.09 金

 携帯電話の方はしょっちゅうだが、契約プロバイダの方の電子メールアドレス宛にも、最近になって頻繁にがらくたメールが入ってくるようになった。今日は2件。バイアグラはいりません。エッチなグリーティングカードも結構です。
 その時代の世相を表すキーワード、というのがある。年末になると良く募集されていたりする、その年1年を端的に表す漢字やら四字熟語やら、そういうキーワード。最近、ふと何となく、この時代の世相を表すのにぴったりだな、と感じるキーワードを思いついた。それは「発情」だ。山のように送られてくるがらくたメールもそうだし、郵便受けに投げ込まれているビラもそう。人間関係やら金銭やら。そういったものに発情する人々。中東での戦争に発情する人々。風来坊のアザラシに発情する人々。最近では、白装束の団体に発情する人々。発情という言葉は悪いかも知れない。けれど、そういった人々がそうしたものに対して見せる反応。集団的な反応、そしてその扱い方。そういうものを見ていると、そうした人達の反応が、発情しているとしか思えなくなることが時々ある。
 可笑しいのは、そうしたものは社会のごく一部に過ぎないのに、それが「世相」だと感じてしまうこと。とにかくそうした人々は声が大きいのだ。消しても塞いでも、新しいようで同じ事の繰り返しが、次から次へと飛び込んでくる。

 今日の桜は風に散っていた。雨より風に散る姿の方がいいね、やっぱり。


■2003.05.11 日

 アザラシの顔に釣り針が刺さっている映像を観て、とっさに「ちょっと獲物にはデカすぎるよな」と発言していた自分は一体。捉えて外そうか、という話もあったようだけど、自然に取れてしまったらしい。タフなものだ。普通は自然にはなかなか取れない。釣り針とは生き物を傷つけるために作られたものだ。それは魚に限らず針掛かりしたまま放置された魚を飲み込んだ他の生き物…鳥なども傷つけ、時に命を奪う。
 釣り針に対して生き物は脆い。でもその反面、強さを感じることもある。釣り場の防波堤の上で時折見かける、カモメが吐き出したペレット(未消化物の塊)の中に、ごくまれに釣り針を見つける事がある。魚の骨と一緒に吐き出されているのだ。恐らく。飲み込んだ針をそのままに、釣り場に放置された魚を丸呑みしたカモメが吐き出したものなのだろう。それを見る度に、よくもまぁ引っ掛かりもせず、と思うけれど、良く考えるとその中の魚の骨だって、かなり大きくて鋭い形のまま一緒に吐き出されているのだから、カモメの体内にはそういったものを、引っ掛からないようにそのまま吐き出す、そういう機能が備わっているのだろう。
 釣りをしていると、例えば大きな魚を掛けた時。針掛かりしたままで糸が切れてしまうことがある。その場合。釣り人の手からは逃れたけれど体内に針を残したままの魚はどうなるか。恐らく、その多くは弱り、死んでしまうのだろう。
 でも、そうではない場合もある。何年前だっただろう。親父と釣りに行った時のこと。あるテトラポットの隙間で、親父が52センチという大きなサイズのアブラコを掛けた。でも、針掛かりしたままの状態でハリスが切れ、姿も見ぬうちに釣り落としてしまった。
 そうして釣り落としたのに、どうしてサイズが判っているか。アブラコという魚は根魚だ。短期的には住処をそれほど移動しない。で、2週間後、全く同じ場所で今度は自分が大きなアブラコを釣り上げた。実家でその魚をさばいてみると、親父が釣り落とした時の針が喉の奥に残っていた。そう。親父が釣り逃した魚を、息子の自分が釣ってしまった。父親の無念を息子が晴らしたのだ。この孝行息子。
 魚の体内に残された針は、消化されたか錆びたかして、もう殆ど原型を留めていなかった。そうしてその魚は、一度釣られてから2週間後、喉の奥に残された針をものともせず、再び果敢に餌に喰らいついてきた。これは本当にごく稀な例なのかも知れない。多くは人目に触れぬまま、ひっそりと命を落としているのかも知れない。でも、こういう事に出会うと、生き物ってのは強いと思う。でも、やはり弱いとも思う。


■2003.05.12 月

 アザラシついでにいうと、東京にアザラシが出没したばかりの頃。親戚の集まりの時に、関東に暮らす親戚から「北海道では川にアザラシがいても珍しくないんでしょう?」というような事を言われたことがある。そんなことはない。こちらでもアザラシは居る所にしかいないので、殆どの人は野生のアザラシなど見たこともない。ましてや川で見かけることなどまず無い。何よりも「川にアザラシ」というイメージが湧かない。そう言われるとどうしても、バシャバシャと水しぶきを上げながら瀬を遡上する、まるで秋鮭のようなアザラシの姿を連想してしまう。川というとやはり、瀬や淵をつくりながら滔々と流れているもの、というイメージが自分にはあるのだ。
 アザラシが出没している首都圏の川は、川というより「河口」のようなもの、だと思う。
 自分が都心部で見た事がある大きな川は、確か荒川と隅田川だったと思うけれど、それはやはり自分の頭の中にある「川」のイメージとは違っていた。
 それは水が滔々と流れる川、ではなく、水を湛える川、だった。こちらでは、川がそういう姿を見せる部分は、海にごく近い河口部の僅かな範囲にしかない。でも首都圏では海からかなり内陸に入り込んだ場所でも、川はそんな河口のような表情を見せ、深い色をした水を湛えて延々と長く伸びていた。
 それは多分、その一帯の広い平野の海抜が極端に低いためなのだろう。とにかく、自分の感覚でいえばあの辺りのそうした川の表情は「河口」。だから、あの辺りの「川」と呼ばれる部分にアザラシがいること自体は、それほど珍しいことでは無いのだと思う。
 話題のアザラシにしても、その出没地点がどんなに海から遡った場所であっても、彼自身にとっては海と隣接した河口部を泳ぎ回っている感覚に過ぎないのだろう。アザラシの生息地では、汽水湖や河口部でも彼らは普通に生活してるのだから、問題なのはアザラシが川にいる、ということではない。東京の街中にいる、ということなのだ。

 時代が違えばかのアザラシも、妖怪や神様のようなものとして、畏敬や崇拝の対象となっていたのかも知れない。人魚や怪魚や河童のように、異なる世界からやって来た奇異なるもの、として。ひょっとしたら。昔の人が見たという、そういった「水辺のもののけ」。その類の一部は、こんな迷いアザラシが原型になっているのかも知れない。
 そういう事を考えてみるのも楽しい。昔の人々には「そう見えた」。でも、今の人々にはどう見えているのだろう。
 見えているものが投影され、像を結ぶ心の背景。それが昔と今とでは大きく違っている。人は昔の方が、自分の「見え方」には忠実だったと思う。アザラシに集う無数の人々が見ているその姿は、皆同じなのだろうか。それとも、それぞれに異なる姿が見えているのだろうか。


■2003.05.13 火

 近所の目ぼしい桜の花も散って、でも、あちらこちらにタンポポの花。
 表玄関のコンクリートの上に、その茎でひと束に纏められたタンポポの、小さな花束がポンと置かれているのを見つけた。アパートの出入り口から道路まで敷かれたコンクリートの上の、建物の壁際のちょっとした片隅。この玄関のちょっとした片隅、が、実は結構不思議な空間だったりもする。その同じ場所には時々、今日のタンポポの花束のように、何かしらのもの…小石だったり、ナナカマドの紅い果実だったり…が、まるでその場所への供え物のように、ポンと置かれている事があるのだ。
 単なるコンクリートの平面の上。そのちょっと壁際の片隅。取り立てて何かがあるという空間では無い。毎日ここを通過する自分自身にしても、特にこれといった意味を持たないその片隅。でも、そんな物をこの場に残してゆく誰かにとっては、この場所。何らかの意味がある場所、なのだろうか。
 そこに置かれているものは、先に書いたとおり、その場所に供えられているようにも見えるし、ただ置き去りにされているだけのようにも見える。飾られているように見えることもあるし、「ままごと」をやった跡のように見える事もある。何のため、という事が、判るような気もするし、そうでないような気もする。
 タンポポの花束。まぁ、子供がやっている事には違いない。でも、その誰かにはまだ会った事が無い。この場所に意味を持たせている、その誰かには。


■2003.05.14 水

 無敵の上司が、この季節は憂鬱だという。彼はマスクをしている。そうしてグズグス。シラカバ花粉症、なのだ。
 さておき。5月の憂鬱、というのは確かにあると思う。社会のサイクルの多くが4月を始まりとする会計年度で動いている以上、「変わり目」を少し過ぎた辺りのこの時期、そういう傾向が生まれるのは仕方がない事、なのかも知れない。
 自分はどうだろう。自分のような生活をしている人間が、恐らく世の中で一番、自分自身の状態に疎い人間だと思う。人とは点で接するばかり。人に心配させるような何事もない。問題は特になし、と思われているだろう。でも、仮に何か問題があったとしても、人はそれほど気楽には忠告もしてくれない。
 自分の心の持ち方について、それがどんな状態であれ、自分は常に「こんなものだ」と思っている。だから、そういう点ではあまり悩みがない、と言えるかも知れない。でも、そんなだから、仮に何かおかしな部分があっても、その事に自分ではなかなか気付けない。自分で気付ける「異常」があるとしたら、それは「体の異常」だけかも知れない。体の方に不具合が出てきて始めて、自分自身のどこかに不具合がある、ということに気付くことができるだけ。
 不具合、というのは別に心の持ち方に限らない。生活習慣の乱れだとか、病気の兆し、だとか、やる気の無さ。そういうものも含めて、だ。それは注意信号、なのだと思う。どこか自分の奥深くにあるものからの、「このままじゃいけないよ」という声。その声をその主は、体の不調という形で、この体を通じて語りかけているのかも知れない。
 体を通じて伝えられるそうした声には、素直になることだ。多くの場合、不調というものは体だけのことにとどまらない。もっと広い範囲で自分のあり方を見詰め直し、おかしなところは手直しする必要がある、自分を支える芯のどこかに無理が生じている、ということだ。

 体に耳を澄ませてみる。まぁ、異常は無いと思う。
 でも、人から見てどうなのかは判らない。


■2003.05.15 木

 雀がつがいになって追いかけっこしたり、例年巣を造っている電柱の鋼管の中に出入りしたりしていた。桜の後を追いかけて、外では様々な花が咲き続けている。花の名前には詳しくないので、その殆どが自分にとっては名も無き花。野の花。5月はいい季節だと思う。色々な命が生きることに対して懸命になったり、陽気になったり。それまで「耐えて」いた命が「生きる」に、そのあり方を転じていったり、と。
 まぁ、ひとことで言うと、命あるものが生き生きしてくる季節。そう感じるのが5月という月。5月は5月の生命のように生きられたらいい。そう思う。ほら、あんなに楽しげに、嬉しげに、そして、必死に。ひたむきに。季節に心を躍らせて生きられたら。生きられるさ。人だって、ね。

  << 2003.04   diary index.   2003.05b >>